一般向け/高校生向け楽しい化け学
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前回記事にちらっと出てきた「ベンザイン」。
今回はこの奇妙な分子を紹介します。
今日の分子No.77 :ベンザイン C6H4
ベンゼンのC=Cの1つがC≡Cになった構造の分子。
「二重結合(-ene)」的なベンゼン(benzene)に対し、「三重結合(-yne)」になったベンザイン(benzyne)、という感じの名前の由来。
1,2-デヒドロベンゼンと呼ばれることもある。
ベンザインは極めて不安定で約0.00000002秒間しか存在できない。
反応中間体としてのみ知られている。(後述)
その構造的な不安定さは、分子模型を組もうとするとよくわかる。
普通結合角は、∠C=C-Cは120°、∠C≡C-Cは180°なので、そのままでは不可能な構造をしているのだ。
ベンザインを組もうとして案の定ボンドが折れてしまったの図。2012/2/11筆者撮影
実際のベンザイン分子は結合がもうちょっとうまいことねじ曲がっているので何とかその構造を維持しているが、でもその命は20ns(ナノ秒)である。
このように、ハンパなく構造的に無理のある不安定な分子なのです。
あまりに無理な構造であるため、最初提案された時はほとんどの化学者が信じなかったという。
しかし以下に示す反応等がベンザインの存在を裏付けている。
☆ 以下ちょっと大学化学的な内容が入ってきます。
ではベンザインは一体どんな反応に関わっているのだろうか。
実は有機化学的には極めて重要な反応中間体なのである。
例えば、次のような反応がある。
液体アンモニア中でクロロベンゼンをカリウムアミドKNH2と反応させるとアニリンが生成する反応;
これだけぱっと見れば普通の芳香族求核置換反応(SNAr機構、付加脱離機構)のイプソ位置換反応に見えるかもしれないが、そうだとすると理解できない事実がある。
例えばクロロベンゼンのイプソ位のC(クロロ基の付いているC)を14Cにしてマークしておくと(以下「*」で示す)、驚くべきことにイプソ位(C1位)の隣のオルト位(C2位)にアミノ基-NH2が置換した物が等量得られる。
これは次のようにして考えれば合点がいく。
(反応機構;「巻き矢印」は電子対の動きを表します。)
(1) 強塩基であるアミドイオンNH2-がクロロベンゼンのオルト位のH+を引き抜いてフェニルアニオン種を生成する。(脱プロトン化)
◎ クロロ基の誘起効果によりオルト位のHの酸性度が上がっているのがポイント。
(2) フェニルアニオンがクロロ基を塩化物イオンとして脱離して、活性中間体ベンザインを生成する。
(3) 極めて反応性に富むベンザインにアミドイオンが付加し、溶媒NH3からH+を引き抜く。
もしくは
すると付加するパターンは2パターン、アミノ基がイプソ位に現われるものと、オルト位に現われるものである。
これは他の芳香族求核置換反応(SNAr機構等)に対して「ベンザイン機構」(もしくは付加脱離機構に対して「脱離付加機構」)と呼ばれている。
ベンザインが極めて不安定、すなわち極めて反応性に富むことによって、付加しにくいアミドイオンでも付加させれるのがポイントです。
他にも、アントラニル酸をジアゾ化したのち水酸化物イオンで中和して得られるカルボキシラート-ジアゾニウム双性イオンを加熱することで、ベンザインを発生させることができる。
気相でこの反応を行うとベンザインの二量体が生成する。
上の双性イオンを質量分析にかけると上記の反応が起こり、ベンザイン(M=76)とベンザイン二量体(M=152)のピークが見える。
また、この双性イオンから生じたベンザインはDiels-Alder反応の求ジエンとなりジエンと反応できる。
以上のように、その反応の中で確かにベンザインは短命ながらも生成・存在していることがわかります。
○ おまけ;ベンザインが関係する面白い反応
(2-クロロフェニル)-プロパンニトリルを液体アンモニア中でナトリウムアミドNaNH2と反応させると、四員環の環化反応が起こる。
一見すると何がどうなったのかよくわからないが、ベンザイン機構を考えるとスムーズに理解できる。
これは上述と同様なベンザインの生成反応に次いで、シアノ基-CNの隣のH+が引き抜かれて生成する二重結合がベンザインの三重結合と反応することによる。
他にも立体障害やアニオン同士の反発を利用して、ベンザイン機構の置換位置に選択性を持たせたりできる等、色々ある。
このように、一瞬しか存在しないベンザインであるが、その存在はとーーっても重要なのです。
◎ 参考
- 『ボルハルト・ショアー現代有機化学〈上〉』, K.Peter C. Vollhardt, Neil E. Schore著, 野依良治監訳, 化学同人; 第4版 (2004/03)
- 『ウォーレン有機化学〈上〉』, Stuart Warrenら著, 野依良治監訳, 東京化学同人 (2003/02)
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球棒式の分子構造模型ってありますよね。
ドデカヘドランC20H20の球棒式分子構造模型。2012/2/11筆者撮影
こういう分子模型を作っていると、
ボンドが折れて、折れた破片がブロック(原子)の穴に詰まってしまった!
ってことありませんか?
分子模型をよく作る人なら、たぶんよくあることだと思います。
ボンド(原子と原子を結ぶプラスチック製の棒)は折れやすく、無理な構造の分子を作ろうとしたり、ブロックからボンドを抜こうとしたりするときによく折れてしまいます。
※ ボンドはポリアセタール樹脂製で普通のプラスチックと比べて柔軟で結合のひずみ(曲がり)もよく表現でき、正直かなり曲がってすごいと思うのですが、それでも折れるときは折れてしまうのです。
数日前もやってしまいました・・・・
ベンゼンの1つのC=CがC≡Cに変わったベンザインC6H4という分子の分子模型を作ろうとしたのです。
ベンザインの分子構造模型・・・のできそこない。2012/2/11筆者撮影
もう明らかに無理な構造をしています。
(実際のベンザインも無理な構造をしていて、たった0.00000002秒で壊れてしまいます。)
上の写真でも既にボンドが折れ曲がっていますが、この後パキッと折れてブロックに詰まってしまいました・・・
折れて詰まってしまうと、ブロックのその穴は使えなくなってしまいます。
すなわち、それだけでそのブロックは死んでしまうわけです。
※ ブロックは、炭素原子(4穴)で10個580円、金属原子(20穴)で10個3000円、高いのです!!(値段は丸善HPより)
以前から解決法もしくは修復法はないものかと思っていたのですが、アイデアは突然降って湧いてくるもの、修復法を思いつき成功しました!
折角の大発明、普通に解説しても面白くないので「深夜にやってるテレビショッピング風」でお送りいたします。
「ああ、もう最悪!」
「やあジェニーどうしたんだい?」
「ポール!聞いて!私の分子模型のボンドがポキっと折れて詰まっちゃったの!」
「ああ、それは残念。でも僕に任せて!」
ボンドの破片が穴に詰まったブロック(炭素原子)たち。2012/2/12筆者撮影
「ポール、それは何?」
「これは僕が電子工作のためにコーナンで買ったドリルさ!」
「そんなものでどうするつもり?まさか穴を開けるなんて言わないでしょうね?」
「Hahaha!まあ見ていておくれよ!」
筆者の電子工作用ドリル(コーナンで購入)とブロック。2012/2/12筆者撮影
「まずはこうやって、詰まった所を一番細いドリルで掘り進むのさ!」
「ポール、でもそれじゃ穴の大きさが合わないわ。」
「ここからが本番さ。ある程度掘るとドリルが詰まったボンドに噛み込む、そして引っこ抜くと!!」
ドリルを噛ませて引っ張ると破片が抜ける! 2012/2/12筆者撮影
・・・っということで、折れたボンドを抜くことができるのです!
実は元々は「くそう!もうドリルで穴開けてやれ!」という暴挙に出て、一番細い刃でまず小さな穴を開けてそれをちょうどいい大きさまで広げる・・・というつもりだったのですが、刃を変えるために抜こうとしたとき都合良く破片も抜けたという成り行きだったのです。
これで折れてブロックが使えなくなる心配をせず、心おきなく分子模型が作れますね!
ぜひお試しあれ!
>> bunsikun様への拍手レス
◎ おまけ;筆者が使ってる分子構造模型
の2つ。(この記事書いてる現在。)
この2つがあれば有機も無機も大体イケます。
今回は前回記事『NOxとNOy』で出てきたNOyの一種、硝酸ペルオキシアセチル(PAN)を紹介します。
ちなみにこのPAN、最後に述べるように筆者は個人的に思い入れが深いのですが、先週筆者がバイトしている塾で生徒に演習させていると出てきてテンション上がりました。
大学入試でも環境問題をテーマにした問題が出題されたりするので、受験生はPANも知っておくといいかもしれませんね。
むしろ、高校化学を学んだなら教養的にこのくらい知っておくべき!と思ったりします。
今日の分子No.76 :硝酸ペルオキシアセチル CH3C(=O)OONO2
英語では「Peroxyacetyl nitrate」(パーオキシアセチルナイトレート)と綴られるため、よくPAN(パン)と略記される。
光化学オキシダントに含まれる反応性窒素酸化物NOyの一種。
(NOyについては2012/2/11記事『NOxとNOy』参照。)
ペルオキシ基-O-O-を持ち、不安定で強い酸化力を持つ。
排気ガスから出る窒素酸化物と炭化水素が日光の下で反応して生成する。
例;CH3C(=O)OO・ + NO2 → CH3C(=O)OONO2
その証拠にPANの濃度レベルは遠隔地域では数~数百pptv程度であるが、大都市とその郊外では数~数十ppbvにも及ぶ。
PANは地表付近では熱分解が主要な消失過程であり、その大気中寿命は常温で数十分から数時間程度である。
最近は減ったが以前よく発令されていた光化学スモッグとは、この光化学オキシダントやエアロゾルがスモッグ状になったものである。
構造を見てもらえればその反応性はよくわかっていただけると思うが、こんな物質が大気中をウヨウヨしているのは堪ったものではない。
PANは目の痛みを引き起こし植物の葉を茶色化するなど、オゾンO3と同様に毒性を有する。
ちなみに光化学オキシダントの8割くらいはオゾンであるらしい。
オゾンは紫外線から我々を守ってくれていたりして「良い者」みたいなイメージがあるが、実はこれを吸入したり目に暴露されると甚大な健康被害をもたらす。
他にも光化学オキシダントにはPAN型化合物が数種類存在する。
これらはPANのアセチル基-C(=O)CH3に炭化水素基が付いた化合物である。
すなわちアセチル基の代わりに種々のアシル基-C(=O)Rになっている。
(アセチル基もアシル基の一種である。)
PANsの一般的な構造
このようなPAN型化合物はペルオキシアセチルナイトレート類(peroxyacyl nitrates)と呼ばれ、PANsと略記される。
例えば
・ PPN:パーオキシプロピオニルナイトレート;CH3CH2C(=O)OONO2
・ PnBN:パーオキシ-n-ブチリルナイトレート;CH3CH2CH2C(=O)OONO2
・ PiBN:パーオキシイソブチリルナイトレート;(CH3)2CHC(=O)OONO2
・ PBzN:パーオキシベンゾイルナイトレート;C6H5C(=O)OONO2
・ MPAN:パーオキシメタクリロイルナイトレート;CH2=C(CH3)C(=O)OONO2
・ APAN:パーオキシアクリロイルナイトレート;CH2=CHC(=O)OONO2
等が大気中に存在することがわかっている。
実大気中には PAN >> PPN >> APAN ≒ PiBN ≒ PnBN のような序列で存在しているようである。
種々のPANsの構造
PANは人工的に合成することができる。
人工合成品は気分析の際の標準物質として用いられる。
PANは蒸気圧が比較的高いため得られた溶液は拡散チューブを用いて気化させることができる。
・ 液相合成法
過酢酸CH3COOOHを硫酸酸性下、硝酸でニトロ化し、その後有機溶媒を用いて抽出することで液体のPANを得る方法。
・ 気相合成法
大過剰のアセトン存在下、少量の一酸化窒素NOを導入して光化学反応を起こさせることでPANを得る方法。
まずアセトンに285nmの紫外線を照射することでパーオキシアセチルラジカルCH3C(=O)OO・を生成させ、そこに少量の一酸化窒素NOを導入して二酸化窒素NO2へと変換し、さらにパーオキシアセチルラジカルと反応させることでPANを生成する。
気相合成法は収率が90%以上で高く、かつ安全であるため近年よく用いられている。
個人的にPANは思い入れが深い分子です。
中学生の頃好きだった分子TOP5には確実に入る。
(ニトログリセリンやベンゼンも大好きだった。)
『アトキンス 分子と人間』(東京化学同人)という、中学の時筆者がとても好きだった本に出てきたPAN。
なんてったって「硝酸ペルオキシアセチル」、長くて舌噛みそうな名前。
構造もなんだか他と違っててカッコいい。
挙句の果てに、中学三年生の美術の最後の作品に登場させてしまった。
さてPANはどこにいるでしょうか?
筆者作(当時中学三年) 題名;LIMITLESS(←さすが中学生 笑)
美術の先生苦笑い。
懐かしい。
◎ 参考
- 『実験化学講座〈20-2〉環境化学』日本化学会編, 丸善(2007/1/31)
- 東京大学HP『NH ラジカルと NO の高温反応に関する研究』
NOx、すなわち窒素酸化物が大気汚染物質として注目されていることはよく知っておられると思います。
化石燃料の燃焼を主な発生源とし、まず生じる窒素酸化物は大部分はNOであるらしいです。
昨日『実験化学講座』(丸善)を特に目的もなく読んでいると「NOxとNOyの定義」について書かれているページを見つけました。
「NOx」(ノックス)という言葉はよく聞くと思いますが、一方「NOy」という言葉はあまり聞かないと思います。
今回は両者の区別について書いてみることにします。
◎ NOx
NOx(ノックス)は環境化学の言葉で、窒素酸化物を表す。
しかしどうも「狭義のNOx」と「広義のNOx」があるようです。
両者は以下のように表す範囲が異なります。
○ 狭義のNOx
NOとNO2を合わせたもの。
もしくはNOとNO2の物質量の合計値。
(環境化学では「NOx」を「値」として定義していることもあるようです。)
環境化学的に、NOとNO2は一緒にして考えると都合がよいことがあるからである。
何故なら、NOとNO2は環境中で次のように相互変換しているからです。
・ NOの酸化
NO + O3 → NO2 + O2
・ NO2の光分解(「hν」は光を表す。)
NO2 + hν → NO + O
この変換は日中は分単位の時間スケールで起こるため、いちいち別々に空気中の濃度を決めたりしてもあまり意味がなかったりするため
NOx = NO + NO2
と、合わせて決めてしまうと楽なわけです。
○ 広義のNOx
窒素と酸素の化合物の総称。
すなわち一酸化窒素 (NO)、二酸化窒素 (NO2)、亜酸化窒素(一酸化二窒素、笑気)(N2O)、三酸化二窒素(N2O3)、四酸化二窒素 (N2O4)、五酸化二窒素 (無水硝酸)(N2O5) などを合わせた言葉。
日常一般的に「NOx」と言うとこの「広義のNOx」を表すことが多いと思います。
◎ NOy
NOyとは反応性窒素酸化物の総称とされます。
すなわち、
NOy = NO + NO2 + NO3 + N2O5 + HNO3 + HONO + HO2NO2 + PAN + PANs + 有機硝酸塩(RONO2,RO2NO2) + NO3-(エアロゾル中の硝酸イオン)
とされる。
「NOx」を含んで、反応性の窒素酸化物全てを言います。
「NとO以外の元素(H, C)も入ってるから"NOy"と表せないんじゃ・・・」とも思うが、まあ気にしてはいけないようです。
ちなみにNOyを「反応性窒素酸化物の物質量の総和」と、値として定義するときは窒素元素の物質量で定義されるため上の式の「N2O5」に2を掛け算します。
以上のようにNOxとNOyはきちんと区別されています。
まとめると
という感じです。
あと、NOyには「PAN」という物質がありますが、これは硝酸ペルオキシアセチル(peroxyacetyl nitrate)という物質のことです。
またPANsとはペルオキシアセチルナイトレート類(peroxyacyl nitrates)、すなわちPANのアセチル基に炭化水素基が付いてるバージョンです。
PANは個人的に思い入れが強い物質なので次回の記事で紹介します。
◎ 次回記事→『今日の分子No.76 :硝酸ペルオキシアセチル』
最後に、大学の我が恩師(←色々な意味で)の言葉を借りて言っておきたいことがあります。
「NOxは大気汚染物質」ということではない。
「"自然の許容量を超えた"NOxが大気汚染物質」である。
ここのところをぜひ理解してほしいです。
NOxだって自然界で大切な役割があります。
大気中での雷放電や森林火災で生じ、酸化され雨に溶け地面にしみ込み植物や微生物の栄養となる・・・・
もしNOxを完全に大気中から消してしまうと、その時地球上から命も消えるでしょう。
他に汚染物質・毒物と言われているカドミウムだってヒ素だって、体内で微妙元素として機能している。
「この物質は大気汚染物質・毒物」というわけではない。(もちろん法律上はそう決められていますが・・・)
NOxたちを単に悪者みたいに言わないでください。
人間が許容量を超える量を出してしまっているのが問題なのです。
◎ 参考
- 『実験化学講座〈20-2〉環境化学』日本化学会編, 丸善(2007/1/31)
- 筆者の大学の先生の有難いお言葉
二週間程前にセンター試験がありましたが、「ワッカー酸化」という反応が出ていました。(第4問の問6の下の反応)
高校の教科書ではワッカー酸化という名称は出てきませんが、反応式は載っています。
次の反応;
という、パラジウム触媒を用いたエチレンの直接酸化によるアセトアルデヒドの合成法を「ワッカー酸化」もしくは「ヘキスト-ワッカー法」と言います。
これはアセトアルデヒドの工業的製法です。
後に述べる理由により、とてもとても重要で有名な反応です。
センターにも出るくらいに重要な反応なのですが、高校生にはあまりなじみが薄い気がします。
筆者が塾のバイトで教えている生徒さんも
「見たことはあるような気がするんですけど」
「Hの場所が変わってるし理屈がよくわからない」
とのこと。
確かに、他の有機化学の反応と比べて高校生には反応物から生成物を予想することは難しそうです。
というか、触媒が関係する反応は生成物が全然違う形になったりしてよくわからない、と感じやすいと思います。
今回はワッカー酸化反応の具体的な反応機構(生成物に至るまでの途中式)を紹介したいと思います。
そして、何故この反応が重要なのかということも述べたいと思います。
◎ ヘキスト-ワッカー法(ワッカー酸化)
塩化パラジウム(II)と塩化銅(II)を触媒とするエチレンのアルデヒドへの酸化反応。
下図のようなスキームで反応が進む。
ワッカー酸化の触媒サイクル。ただしPdの配位子は省略。
簡単に解説します。
① エチレンの配位
まず塩化パラジウム(II);PdCl2にエチレンが配位するところから始まります。
図のように、パラジウムはエチレンの二重結合(π結合)と結合して錯体(π錯体)を作ることができます。
ここが遷移金属の面白いところです。
② 水のエチレンへの求核攻撃
次にエチレンに水分子が孤立電子対をぶつけてきます。
するとC-O結合ができ、Pdとエチレンとの間の弱いπ配位結合がガッチリした単結合(σ結合)になり、同時に電子がClの方に押し出されてCl-となり脱離します。
次に邪魔なH+が取れて、すなわち新しいPd有機金属錯体(σ錯体)と塩化水素HClができます。
③ β水素脱離
②で生じた錯体で結合の組み換えが起こります。
β位のHがPdへ結合し(β水素脱離)、C-C結合がC=Cになり、PdとCの結合は切れて代わりにπ配位結合になります。
そうしてビニルアルコールが配位したヒドリドパラジウム錯体が生成します。
有機金属錯体ではこのように結合が「シュコッ!」とパズルのように組み換わる反応がよく起こります。
④ ハイドロパラデーション
③とちょうど逆の反応(ハイドロパラデーション)が起こります。
すなわちPdに結合しているHがビニルアルコールに渡され、π錯体がσ錯体になります。
ただし、このHはもともと-OHが付いているCと結合していたものですが、そうでない方のCに結合します。
要するに③と④では、Hを一旦Pdの方へ避難させることで他方のCに動かしているわけです。
☆ ここが「Hが動いた?」と高校生の悩みの種の原因です。
⑤ ヒドロキシ基からのβ水素脱離
③と同じ要領でβ水素脱離が起こります。
ただし次はヒドロキシ基-OHのHがパラジウムに移動します。
そうすることで次はC=O結合が形成され、すなわちこれはアセトアルデヒドです。
以上①~⑤でエチレンからアセトアルデヒドが生成します。
「あれ?酸素が関係してないんじゃ?」と思うと思いますが、この続きのパラジウムの反応がまた重要なのです。
⑥ 還元的脱離
⑤で生成した塩化水素化パラジウム(II);Cl-Pd-Hは塩化水素HClを脱離して酸化数0であるのPd(0)を生成します。
※ 「Pd(0)」とは金属パラジウムのことではなく、形式酸化数が0であるパラジウム錯体LnPd(LはトリフェニルホスフィンPh3Pなどの配位子)のことです。
このように脱離することで酸化数が減る(=還元される)特徴的な反応を「還元的脱離」と言います。
(ちなみに逆反応に相当する「付加することで酸化数が増える」反応を「酸化的付加」と言います。)
⑦ 塩化パラジウム(II);PdCl2の再生
⑥の反応でパラジウム(II)はPd(0)になってしまいました。
これではアセトアルデヒドを1mol生成するためにPdCl2を1mol消費することにより、触媒として使えません。
そこで考えられたのが塩化銅(II);CuCl2でPd(0)を酸化することです。
しかしこれでは消費されるのが塩化銅になっただけです。
が、塩化銅(I);CuClは酸素の存在下塩化水素と反応するとCuCl2に酸化再生されます。
すると、一番上に示した反応式が輪っかを閉じます。
PdCl2もCuCl2も正味消費されていないので、これらは触媒であると言えます。
このように、触媒反応で輪になって閉じた反応式を「触媒サイクル」と言います。
PdCl2もCuCl2は消費されていないことがわかりました。
ここで、では何が消費されたかを考えてみましょう。
一番上の反応サイクルを見てください。
輪の外からやってきた物質が消費されるもの、輪の外に投げ出されるものが生成するものです。
すると
消費されるもの;CH2=CH2、H2O、2HCl、1/2O2
生成するもの;2HCl、H2O、CH3CHO
です。
そう、②と⑥で生成するHCl計2分子は⑦の再生に必要なHCl2分子に充当され、その⑦で生じるH2Oが②で消費されるH2Oに充当されます。
したがってこれらは正味消費も生成もしていません。
したがって
正味消費されるもの;CH2=CH2、1/2O2
正味生成するもの;CH3CHO
です。
よって全体の反応を見ると
となり、最初に示した反応式と一致します。
このように、ワッカー酸化ではとても巧妙に無駄なくエチレンの酸化が行われているのです。
以上のように細かく反応を分けると、一見何が起こっているかわからない触媒反応でもなるほどと理解できるのではないでしょうか。
金属錯体を使うと配位結合を利用して上手に原子の組み換えができるわけです。
さて、今回は実はもう一つ伝えたいことがあります。
ヘキスト-ワッカー法―アセトアルデヒドの工業的製法―が何故こんなにも重要視されているかです。
まずアセトアルデヒドの合成法と言われるとどんな反応が思い浮かぶでしょうか。
高校の化学Iでは、「アセチレンに水を付加」する反応が紹介されていると思います。
ビニルアルコールが平衡関係にあるアセトアルデヒドに変わることをうまく利用した反応です。
この反応はつい半世紀ほど前までアセトアルデヒドの工業的製法として用いられてきました。
が、過去形です。
何がいけなかったのでしょうか。
このとき使われる触媒はHgSO4。
水銀触媒です。
知ってのように水銀は猛毒です。
60年ほど前、「日本窒素」という化学メーカーがこの反応でアセトアルデヒドを合成していました。
この会社はこの水銀触媒を含んだ排水を海へ捨てていました。
その会社は熊本県の水俣市にありました。
もうお気づきの通り、起こった事件は「水俣病」。
案外知名度が低いのですが、まさにこのアセチレンへの水付加反応が水俣病の元凶だったのです。
排水をそのまま捨てるのはいけないというのは大前提なわけですが、そしてできるだけ危険な薬品は使わないように世界は向かって行きました。
そしてこの反応に取って代わったのが上記の「ヘキスト-ワッカー法」。
ヘキスト-ワッカー法は比較的な安全な触媒を用い、原料はエチレンと空気(酸素)だけで、副生物がないとてもクリーンな反応です。
このように、世の中の状況―経済、環境問題、資源問題、エネルギー問題―に対応して、触媒は進化しています。
ヘキスト-ワッカー法はこのような公害問題の中で評価された歴史的に、現実的に重要な触媒反応なのです。
「アセチレンの水付加の時の水銀触媒が水俣病の原因!」
「だからヘキスト-ワッカー法は取って代わった!」
こういう話は教科書には詳しく載っていないのですが、化学工業は環境や人に優しくあらねばならないので、本当にぜひ知っておいて頂きたいです。
◎ 参考文献
- 『有機金属化学 (化学マスター講座)』,植村榮、村上正浩、 大嶌幸一郎著, 丸善 (2009/12)
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