一般向け/高校生向け楽しい化け学
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先日「硫酸のS原子はオクテット則を満たしていないように描かれるが、実際どうなっているのか?」というご質問を頂きました。

結論から言うと、上図のオクテット則を満たす両性イオン構造(右)が妥当で、学校で習うS=O二重結合のある構造(左)ではないとされています。

今回は、従来の硫酸分子の電子構造が如何にして否定され、そして如何にしてより正しい構造が提案されたのかご紹介いたします。



硫酸分子の構造とルイス式



図1. 硫酸のよく描かれるS=O二重結合型ルイス構造Aと、双性イオン型ルイス構造B.


図1に硫酸H2SO4分子のルイス構造式(※)と、S-O結合長を示しています。

また、O原子を区別するために、ヒドロキシ基でない方をOa、ヒドロキシ基の方をObと区別しています。


よく描かれる、「S=O二重結合」を持つルイス構造Aは、S原子が合計6本の価標を持っていて、合計6×2=12個の電子を持つことになります。

これは「最外殻電子が8つで安定」というオクテット則に反します。

量子化学的に言うと、「S原子の1つの3s軌道と3つの3p軌道には合計8つまでしか電子が入らないからおかしい」です。

これまでオクテット則を破る構造Aでも大丈夫だという根拠として、

・ S原子が3s、3p軌道に加えて3d軌道を使うことで、オクテット則を破ることができるはず。

・ O原子の孤立電子対(p軌道)がS原子に配位することで二重結合を形成することができるはず。

等が挙げられてきました。

実際、S-Oa結合(1.42 Å)はS-O単結合(1.6 Å)よりも結合距離が短いということが実験的に知られていたので、SとOの間に二重結合があるのだろうと考えられていました。

しかし、d軌道はs・p軌道に対してエネルギーが高すぎるため、結合に関与できないのではないかという反論もあり、割と最近(1990年代)まで論争になっていました。

ルイス構造式
電子がどの原子に局在、もしくはどの原子間で共有されいるかを(極端に)表した式。高校で習う「電子式」と同じようなもの。



硫酸分子のNBO計算

さてこの論争に決着をつけるべく、2000年にある論文[1]が発表されました。

この論文では、硫酸や類似物質の電子構造を求めるために、自然結合軌道(Natural Bond Orbital; NBO)計算を行っています。

NBO計算とは、分子中の電子がどの原子間にどんな配分で存在するかを算出する量子化学計算です。

すなわちNBO計算はまさにルイス構造式を示してくれるわけです。

いわゆる紙に書くルイス構造式ではX-Y結合があった時「X:Y」すなわち「XとYの間に2電子」としか表せません(表しません)。

一方、NBOはこれを「XとYの間に2電子;Xのs軌道に1.2電子、Yのp軌道に0.8電子の割合で偏っている」のように電子が収容される原子軌道や非整数な電子の偏りまで表してくれます。

なお、結合を作らずに一原子上に局在した電子対、すなわち孤立電子対(Lone Pair; LP)もちゃんと算出してくれます。

NBO計算は電子状態を非常に的確に教えてくれるのです。


では硫酸分子のNBO計算結果を見てみましょう。

S-Oa間に一本目の結合(σ結合)があるのはそうだとして、問題はOa上の3つのp(π)軌道です。

ずばり、Oaの3つのp(π)軌道は「LP, LP, Oa:S」でした。

しかし「Oa:S」π結合は「Oaに1.8電子(89%)、Sに0.16電子(8%)」で、実質Oa上に局在していました。

絵で描くと次の図2のようです。




図2. S-Oa結合の電子の偏り.


正味、Oa上に3つLPがあると考えて良いわけです。

よってS-Oa結合は「S+-O-」のほぼ単結合で、オクテット則に従った双性イオン構造であるわけです。

なお、この強い分極によってS-O間にクーロン引力が働くため、S-Oa結合は普通のS-O単結合より短くなるようです。

二重結合しているから結合距離が短いわけではなかったのです。


以上のように、今日では硫酸分子の構造をS=O二重結合で書くのは適切ではないと考えられます。
(8%はO原子からS原子にπ軌道が流れ込んでいるので、全く二重結合性がないわけではないですが。)


やっと最近になって、NBO計算や非経験的分子軌道計算によって高価数原子の真の姿が徐々に明らかになって来ています。

つい6年くらい前に私も学部の無機化学で習った「p軌道からd軌道に昇位してsp3d混成軌道に~」等の"教科書の内容"が否定され、より正しい電子構造に更新されていっています。
(SF4とかPF5とかこういうの大体はσ*軌道が関与する三中心四電子結合らしい。d軌道は関係なし。)

化学(科学)って、身近なことでもまだまだわからないことがたくさんで、まだまだどんどん進歩していって面白いですね。


参考
[1] T. Stefan and R. Janoschek, J. Mol. Model. 2000, 6, 282.
[2] 『Discovering Chemistry With Natural Bond Orbitals』Frank Weinhold, Wiley (2012).

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