一般向け/高校生向け楽しい化け学
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前回は農薬とサリンは構造がとても似ていることを書きました。
(サリンは元々農薬研究の過程で生まれました。)
サリン、Malathion(農薬;殺虫剤)、Malathion酸化体(殺虫活性物質;人間にも猛毒)
前回;『今日の分子 No.72 :サリン』
今回は農薬やサリンはどのように体内で働き致死性を示すか、何故農薬は虫に効いて人間には効かないか、を解説します。
結論を言うと農薬やサリンはアセチルコリンエステラーゼと言う酵素を阻害することで対象を死に至らしめます。
アセチルコリンエステラーゼとはどのような酵素かということから説明しましょう。
◎ アセチルコリンとアセチルコリンエステラーゼ
アセチルコリンとは、骨格筋の調節や睡眠、学習、情緒に関する神経伝達物質である。
アセチルコリンは構造化学的にはコリンと酢酸のエステルである。
(アセチル化されたコリンという意味)
アセチルコリン(上)、コリン(左下)、酢酸(右下)の構造
アセチルコリンが関わる一連の神経伝達を簡単に書くと;
(1) 前シナプスニューロンという神経細胞に刺激が到達する。
(2) 前シナプスニューロンからアセチルコリンが放出され、後シナプスニューロンという神経細胞にくっ付く。
(3) 後シナプスニューロンのイオン透過性が変化し、神経刺激が起こる、すなわち情報が伝達される。
(4) アセチルコリンエステラーゼという酵素がアセチルコリンを分解し、元の状態に戻る。
ということである。
ゆえにアセチルコリンは神経伝達物質として作用していて、アセチルコリンエステラーゼがアセチルコリンを壊すことで神経伝達は終了する。
さて、アセチルコリンエステラーゼは次の模式図のようにしてアセチルコリンをコリンと酢酸へ加水分解する。
アセチルコリンエステラーゼ(AChEと略)によるアセチルコリンの加水分解
とても美しい生体内触媒反応である。
たんぱく質であるアセチルコリンエステラーゼ(以後AChEと略)はとても大きな分子で、図のようにちょうどアセチルコリンと結合できるスペースがある。
アセチルコリンの持つカルボニル基にAChEの-OHが結合することから反応は始まる。
このときアセチルコリン分子をAChEに固定するため、ちょうどアセチルコリンの正電荷側とくっ付く負電荷ポケットがある。
これによりがっちりアセチルコリンを捕まえ、-OHとカルボニル基とを反応させ基質-酵素複合体となるのだ。
しかもこのときAChEの-OHのHはすぐ隣にあるNに渡され、とても効率がいい。
基質-酵素複合体中の元カルボニル基の=Oは-O-となっており、アセチルコリンの元エステル結合はとても切れやすくなっている。
そしてここが切れコリンとアセチル化酵素になる。
アセチル化酵素は加水分解されると酢酸とAChEになり、AChEは再生される。
すなわちAChEは反応中で正味消費も生成もされない触媒と言うことになる。
したがって正味の反応は
アセチルコリン + 水 → コリン + 酢酸
となりアセチルコリンの加水分解となる。
このような美しく仕掛けられた酵素反応により我々は今筋肉を動かして息を吸い、吐いているのだ。
◎ サリンや農薬(有機リン系殺虫剤)とアセチルコリンの反応
上に示したように、AChEはとても巧妙にアセチルコリンを分解している。
しかし精密なものほど壊れやすい。
ここにサリンや有機リン系殺虫剤がやってくるとどうなるのだろうか。
具体的に、サリンとAChEの反応を見てみよう。
AChEとサリンの不可逆的な結合
サリンのP=OはアセチルコリンのC=Oと似ている。
AChEはアセチルコリンとよく似たサリンと同様に結合を作ってしまう。
そして前例でコリンが抜けたのと同様に、サリンの場合はHFが切れて抜ける。
すると残るのはAChEとリン酸(の誘導体)とのエステル。
このエステル結合は強くて、前例の酢酸のように加水分解されてくれない。
結果AChEは再生しない。
このようにサリンはAChEと不可逆に結合する。
一番上の図のMalathion酸化体(殺虫活性物質)も同様にAChEと不可逆的な結合を作る。
よってサリンやMalathion酸化体はAChEの「不可逆的阻害剤」と言える。
このようにしてAChEが再生できず正常な作用をしなくなるとアセチルコリンが分解されなくなり(4)の神経伝達過程がうまく回らなくなる。
するとアセチルコリンは神経細胞に溜まったままになり次の神経刺激は伝えられなくなる。
したがって筋肉が麻痺し、呼吸不全に陥り、死に至る。
これがサリンや有機リン系殺虫剤の致死性の所以である。
◎ 農薬が人間と虫を殺し分けられる理由
農薬は都合良く虫だけを殺せなければならない。
サリンやをMalathion酸化体を農薬として撒くと、虫はおろか人間まで殺してしまう。
では農薬には何か小細工がしてあるはずだ。
もう一度サリンと農薬の構造を見てみよう。
サリン、Malathion(農薬;殺虫剤)、Malathion酸化体(殺虫活性物質;人間にも猛毒)
そう、サリンと農薬(Malathion)の違いはP=OかP=Sかである。
似ているが、MalathionのようにP=SならAChEを阻害することはない。
しかしそうすると虫も殺せなくなってしまうが・・・
虫と人間の違い、それはMalathionを酸化しMalathion酸化体にするスピードである。
虫と人間の体内でのMalathionの反応
・ 人間;酸化より加水分解が速い
・ 虫;加水分解より酸化の方が速い
Malathionは酸化されてMalathion酸化体になると毒性を発揮する。
虫は体内の酵素ですぐにMalathionが酸化されて猛毒のMalathion酸化体となり、死に至る。
一方、人間はMalathionが酸化されるスピードよりも加水分解されて無毒化されるスピードの方が速いのである。
したがって人間の体の中ではMalathion酸化体が生成しないので、人間は死なないのである。
◎ 参考
- 『第3版 マクマリー 生物有機化学 生化学編』John McMurryら著, 丸善(2010)
- 筆者の大学の先生の有難いお話
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油脂は最もポピュラーな生体分子ですが、そのわりに高校生にはあまり理解度が高くないようだと今日改めて感じました。
(ヨウ素価とかケン化価とかの計算がややこしいため、難しいと感じているからだろうか?デカイ分子で構造解析もややこしいからという理由もあるかもしれない。)
油脂とは何か、ちょっと紹介してみたいと思います。
まず油脂とは、「1分子のグリセリンと3分子の高級脂肪酸がエステル結合したもの」です。
※ 高級脂肪酸とはカルボン酸R-COOHで炭化水素基「R-」の炭素数が大きい(15とか17とか)分子です。
グリセリンが3つの脂肪酸とエステル結合している分子を化学的には「トリグリセリド」、もしくは「トリ-O-アシルグリセリン」と言います。
油脂分子は、下図のように房が3つついたバナナみたいな形をしていて、房1つ1つが高級脂肪酸の部分、ヘタがグリセリンの部分に相当します。
油脂の構造。バナナのような形をしている。
高級脂肪酸の種類・組み合わせによってたくさんの種類の油脂が存在します。
☆ 例;『今日の分子No.12 :ジパミトイルカプリリルグリセロール』
油脂は植物や動物の体に含まれ、主にエネルギー源になる物質です。
体に保存して食料のないときにゆっくりと消費することができ、即効性の糖に対して保存型の燃料と言うことができます。
しかし保存してしまうのが裏目に出ることがあり、お腹まわり等に保存されるコイツらは脂肪と呼ばれて人間には忌み嫌われています。
「油脂」と言いますが、これは「油」と「脂」の総称です。
どちらも「あぶら」ですが、「油」は常温で液体である油脂、「脂」は常温で固体である油脂です。
液体の油脂("油")は植物や魚等に多く含まれていて、固体の油脂("脂")は動物の肉に多く含まれています。
魚の煮汁は冷めても固まりませんが、豚肉の煮汁は冷めると脂が固まって白くなりますよね。
◎ 冷たい水の中で暮らす魚は、体の流動性を保つために融点の低い油脂を使わなければならない!!
さてここで、油脂の種類によって常温で液体だったり固体だったりする理由を化学的に考えたくなります。
結論を言えば
・ 二重結合のない/少ない油脂 → 固体;脂
「脂」である油脂。
・ 二重結合の多い油脂 → 液体;油
「油」である油脂。
です。
(もちろんのことですが、油脂のどこに二重結合があるかと言うと、脂肪酸部分の「R-」の炭化水素基部分です。)
なぜ二重結合の数で違いが現れるのかと言うと、詳しくは高校で習いませんがそれは構造化学的な問題になります。
「固体になりやすい」性質を発現する原因の一つとして、「分子が密に、綺麗に配列することができる」ということがあります。
綺麗に配列すると分子間力が大きく働くため固体になりやすい。
下図のように、飽和高級脂肪酸からなる油脂は3つの炭素鎖が直線で均一な形をしていて、かつその鎖は動きやすいため結晶になると互いにぴったりくっ付いて飽和脂肪酸鎖、油脂分子は綺麗に並ぶことができる。
すると油脂分子間に働く引力が強くなるため、固体になりやすい。
飽和脂肪酸から成る油脂は綺麗な形をしていてピッタリ配列することができる。
一方不飽和高級脂肪酸からなる油脂は?
残念ながら二重結合は自由に回転することができないのでイビツな形をした分子になります。
だから綺麗に並ぶことができず、固体になりにくい、常温で液体になってしまう、ということなのです。
飽和脂肪酸から成る油脂は二重結合が固くてイビツな形になる。ゆえに整列しにくく液体になる。
(ちなみに自然の不思議で、ほとんどの油脂の二重結合はシス型になっています。)
不飽和高級脂肪酸からなる液体の油脂、"油"は二重結合を持つため付加反応を起こすことができます。
例えば水素付加。
触媒を用いて水素を付加すると二重結合をなくすことができるので固体になります。
これを応用したのがマーガリン。
液体であった植物性油脂に水素を付加して固体化 → パンに塗れる!!! という発想です。
(しかしこのときにトランス脂肪酸が・・・!!!この話は後日しましょう・・・)
他にもヨウ素を付加することもできます。
二重結合が多いほど付加するヨウ素が多いので、ヨウ素の反応量をその油脂の不飽和度のモノサシにすることができます。
このように定義された値がヨウ素価。
詳しくはコチラ。2011/2/22の記事『ヨウ素価』
あと、まだ油脂には重要な反応があります。
それは「けん化」。
「油脂をアルカリ(NaOHやKOH)と反応させてグリセリンと高級脂肪酸塩を得る」・・・(☆)という反応。
けん化反応
「けん化」の「けん」は、「セッケン」の「けん」。
「けん化」を漢字で書くと「鹸化」なので、「石鹸」の「鹸」ですね。
すなわち「けん化」とは「セッケンになる反応」です。
※ セッケンについてはコチラを御参照ください。
・ 『今日の分子No.1 :F-ギトニン』
・ 『今日の分子No.11 :ラウリン酸ナトリウム』
・ 『リンスインシャンプーの化学』
セッケンとは高級脂肪酸塩のことです。
すなわち上に書いた説明(☆)を書きかえると、「けん化」とは「油脂からセッケンを作る反応」なのです。
これ重要。
アルカリと混ぜてるので、脂肪酸はできません!脂肪酸塩ができます!
「けん化 = セッケン化反応」なのだから、生成物はきとんとセッケン(=脂肪酸塩)を答えてください。
「けん化 = セッケン化反応」ということがわかっていれば、もう間違えないはずです。
今日はこれが一番言いたかったのです。
もう一度言います。
「けん化」とは「油脂からセッケンを作る反応」なのです。
大切なことなので2回言いました(笑)
あと、「けん化価」という値がありますが、これはどうということもなく特に難しくない値です。
「1gの油脂をけん化するのに必要なKOH(もしくはNaOH等)のミリグラム数」と定義されていますが、要する油脂の分子量のモノサシです。
けん化価が大きいと油脂の分子量は小さいということになります。
◎ 参考
炭素数4、5のカルボン酸は非常に不快な臭いがするが、エステルになるととても良い香りになると昨日書きました。
(『今日の分子No.63 :酪酸』、『今日の分子No.54 :イソ吉草酸』参照)
低分子量のエステルは果実臭がし、実際果実に含まれています。
具体的にどんなエステルが果実の香り成分なのか紹介しましょう。
☆ 生活環境化学の部屋様の『◆ 果物の香りをつくる/エステル類ほか ◆』もご参考に。
<果実の香りの例>
◎ バナナの香り成分
酢酸3-メチルブチル (別名:酢酸イソペンチル)
◎ リンゴの香り成分
ペンタン酸3-メチルブチル (別名:吉草酸イソペンチル)
◎ ラム酒の香り成分
プロパン酸2-メチルプロピル (別名:プロピオン酸イソブチル)
◎ ブドウの香り成分
2-アミノ安息香酸メチル (別名:アントラニル酸メチル)
エステルは生物界にたくさん存在し、様々な役割を果たしている。
これは、カルボン酸誘導体の相互変換は活性化エネルギーが低くて比較的簡単で、便利だからであるらしい。
香りという生体的な役割を持ち上記のように植物に多く含まれている他、動物も「香り」に準ずる面白い働きのためにエステルを使っている。
例えばフェロモン(生物同士が情報交換するために使う化学物質)。
フェロモンは香りとは違うが、匂いと同じような感じで体に取り込むことにより生体刺激となる。
フェロモンにも香り成分と同じようにエステルが多いらしく、特にcis・trans異性や光学異性を持つ立体特異的な部分を持つ物質が多い。
例えば、ある種のガのフェロモンの次の物質;
酢酸cis-7-ドデセニル
がある。
ちなみにこの物質は面白いことに、たまたまゾウの性誘因フェロモンと同じ分子らしい。
ガとゾウが同じフェロモンを使うなんて、たまたまってあるもんだなと思いますね。
ちなみに、『ボルハルト・ショアー現代有機化学〈下〉』という筆者が大学で使っている教科書にこのことが載っているのだが、この教科書の著者はなかなかユーモアがあってこの事実を次のように書いている;
ゾウは,性誘因フェロモンとして数種類のガが用いるのと同じ分子を用いている.しかしゾウはこの事実に対して,感動している様子がまったくない.
(ボーっとしているゾウの写真が挿絵としてついている)
以上、エステルの香り(+フェロモン)としての具体的な例でした。
参考;
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